読書とメモと時間
読書の仕方をずっと試行錯誤してきた。
試行錯誤というほど本気で取り組んできたわけではないけど、
速読したり、本にメモを書き込んだり、ノートをとったり色々な方法にちょこっとだけ手をだしてきた。
現在の僕は、気になる本をこのブログに書き写しなら読んでいる。
次のページに進むのにとても時間がかかる。
読みたい本はたくさんあるのに、なかなか先に進まない。
この方法で良いのだろうかと心配にはなる。
しかし、この方法でやってみるしかない。
今までの読書法は大して記憶に残らなかった。
書き写すことの一番のメリットは、記憶に定着しやすくなることだと思うけれど、
もう一つのメリットは「編集のしやすさ」にあると思う。
デジタルで書き残すことに限定されるけれど、ある本の一部分と別の本の一部分をつなげて編集した記事を書く。
そういうことがしやすく・・なるはずだ。
いま書き写している本は、主に知識をつけるもの。
基礎がしっかりとできれば、あとは類書で書き写す項目は少しは減るだろうから、
読書スピードもあがるのではないだろうか。
僕は受験勉強から大学の授業を含め、学校の勉強をたいしてしないでここまできてしまった。
だから効率のよい学習というものを知らない。
しかし、勉強というのはある程度時間がかかるものなのではないかと思う。
デザインの仕事をしているけど、時間を費やし試行錯誤して少しずつ上達した実感があるからだ。
短い時間でたくさん記憶できるような、効率の良い読書法があったらそれは試したい。だけど、結局は「時間を費やす」ことが何かを習得するための基本なんだと思う。
『映像史』メモ④
1900年代 劇映画興行の成立
トピックスやニュースから劇映画へ移行。興行として成立することをあきらかにした。
■フランス
ルイ・リュミエールは実写以外に映画の用途に思い至らなかった。
劇映画の方向へ一歩踏み出した人物がジョルジュ・メリエス(1861年12月8日 - 1938年1月21日)。
靴職人から製造業者として成功した一家の三男。
イギリス遊学中に奇術に開眼。帰国後、父親の遺産を相続し、劇場を購入。
20世紀にはいると、舞台経験から劇を撮影。
書き割り(舞台などの背景画)のセットでファンタジックな作品にお特質を発揮。
・画面を別の画面とつないで見せるトリック映画
・時事的なイヴェントの再現
・フィクションの再現
そして、1902年「月世界旅行」
『月世界旅行』"Le Voyage dans la Lune / A Trip to the Moon/Viaje a la Luna"(1902)
多くの作品を提供したが、1910年代に入ると書割のファンタジーは時代遅れに。
1923年までに破産。
1928年に駅前の売店のあるじになっていたところを再発見。祝を受け引退。
〇シャルル・パテ
1863年生まれ。豚肉商の四男。
南米で諸種の仕事をしたあと帰国。
エディソンのフォノグラフ(蓄音機)を購入、パリ郊外の縁日興行で蓄財。
パテ・フレール(兄弟)社を創設。
1900年代に映画製作を企業化し、世界の覇者になった。
1901年「ある犯罪者の物語がヒット。
メリエスとは逆にリアリズム方向へ映画を向けた。
1902(1903?) 大作「キリスト受難劇」
The Passion Play: Life and Death of Christ (1903) - Ferdinand Zecca - La vie et la passion de Jesus
ニュース再現作品はパテの名物に。
パテの利益は1900年に34万フラン
1907年には2400万フラン
(いくらくらいなのか。。。)
「映画は明日の新聞であり、学校であり、劇場である。」
└ 示唆に富む。VRの方向はこれをなぞるのかどうか。
パテ社は快進撃。ロンドン、ニューヨークなどに支社を創設。
1908年のアメリカの売上は、アメリカの製作者の売上の倍。
ニッケル・オデオンの過半の作品を独占。
パテは、生フィルムと映写機製造、作品の配給と賃貸業、
原作の権利獲得、映画館の支配をめざした。
一種のコングロマリット(多国籍多業種統合企業)のあり方を先駆的にしめした。
■アメリカ
『映像史』メモ③
居ながら山海万里の外に遊び、不知の山水を賞し、未識の才子佳人に接するの快を買はんふ思う人は、速やかに来て此のバイタスコープを一覧せられよ
東京日日新聞 1897年3月5日
VRも変わらないなぁ。
最も初期の映画は周囲を記録しただけで、"生々し"かった。
スクリーン上の動きはなんであれ、それだけで、初期の観客に十分スリルを与えた。
しかし、新しさはすぐ効き目がなくなり、制作者たちはキャメラの前をステージとし、アクションを置き始めた。エディソンは、この方向を開拓した。
というのは、エディソンのカメラは図体が大きすぎて、簡単に動かせなかったからである。
P.23
チューブ入り絵具の発明で、画家が外に出たってことを思い出す。
今回はその逆だけど。
1900年。パリ万国博覧会。
映画はリュミエールの巨大スクリーン。縦13.716m、横19.2024m
※バルト9のスクリーン9でも5.65×13.5だ。
アイディアとしてのテレビが登場。
レアンドロ展@森美術館
森美術館で見てくる。
金曜日の午後8時過ぎ。チケット売り場が混みあっていて驚いた。
みんなファイナルファンタジー展を見に来ているのだろうか。
列の3割~4割くらいは外国人という印象。中国系、韓国系、欧米系。
最初の展示は、池に浮かぶボートを模した彫刻(?)群。
広い部屋は暗くなっており、5隻くらいあるボートの周りだけがうっすらと明るい。
ボートは静かに揺れていて、水面にうつるボートがリアルに再現されているから、
部屋の暗さに目がなれるまでは、実際に水がはってあるのかどうかが分からない!
水がはっていないと分かったときはアハ体験というか、感心した。
他に印象的な作品は、廃校を模したインスタレーション。
これは正直説明がすごく難しいが、とりあえず書いてみよう。
床から天井まである大きなガラスのあちら側には教室が模された空間が広がっている。
机といす。黒板、教卓。
ガラスのこちら側にも、いすや教卓を模したものが置いてある。
で、そこに座ると、ガラスに反射して自分があちら側の世界に入り込んだように見えるのだ!
イメージに自分が入り込んでしまう面白さ。不思議さ。
ものとイメージが重なる様子が好きなのかもしれない。
『パリ・テキサス』でガラス越しに面会した恋人に反射した自分の顔が重なるシーンや、
最近では『ブレードランナー2049』のリアルの娼婦に恋人AIのホログラムがリアルタイムで同期したあとに行われるラブシーン。
ホロレンズも現実にイメージを重ねる技術だよね。
レアンドロの面白さは、
映像(鏡に反射する自分なども含む)と現実の境界が曖昧になるところ。
そして、それをデジタルを使わずにやるところ。
※もちろん、アパートの住人の生活模様を映像で見せる作品や、飛行機の窓から見える夜景や雲などを映像で見せる作品など、いやゆる映像を使った作品も多く、それはそれで面白い。
映像と現実を仲介する素材として「鏡」をうまく利用した作品が多い。
廃校の作品と同じくらい好きなのが、
延々とつづく試着室の迷路。
鏡かと思うと通りぬけられたり、
鏡だと思っていたところに他人が出てきてときのぎょっとしたり。
床屋の作品を思いだしてるときに連想したけど、
鏡の国にアリスってどういう話だっけ?
あちらの世界とこちらの世界。
記憶とイメージ。記憶「と」というか、記憶「は」イメージなのかな。
それを操作される面白さと怖さ。
アパートの部屋の様子を映像で見せる作品は、
夜だと、明るい部屋の様子は丸見えという記憶を利用している。
建物の外観がプリントされた床にはいつくばると、
鏡越しに壁をよじのぼっているように見える作品は、
建物の壁は登れないという記憶が重要。
重力から解放されたイメージを実際に体験できる面白さ。
例えばすごくカラフルで巨大なボールプールってきっと面白いだろうけど、
それは見慣れていない光景の面白さだと思う。
そうじゃなくて、
実際の生活で見慣れているもの、イメージが頭のなかで出来てしまっているものを、
変質させるのがかっこいいアートなのかもしれない。
そうやって日常生活をハックできたら生活は豊かなのかもしれない。
・前もってイメージがある。
・イメージを変容させる作品がある。
・作品を体をとおして体験する
・イメージが更新される