手考足思 β

VRのメディアとしての特性と可能性を遠回りしながら探るブログ

『映像史』メモ④

1900年代 劇映画興行の成立

トピックスやニュースから劇映画へ移行。興行として成立することをあきらかにした。

 

■フランス

ジョルジュ・メリエス

ルイ・リュミエールは実写以外に映画の用途に思い至らなかった。

劇映画の方向へ一歩踏み出した人物がジョルジュ・メリエス1861年12月8日 - 1938年1月21日)。

靴職人から製造業者として成功した一家の三男。

イギリス遊学中に奇術に開眼。帰国後、父親の遺産を相続し、劇場を購入。

20世紀にはいると、舞台経験から劇を撮影。

書き割り(舞台などの背景画)のセットでファンタジックな作品にお特質を発揮。

・画面を別の画面とつないで見せるトリック映画

・時事的なイヴェントの再現

・フィクションの再現

 

そして、1902年「月世界旅行


『月世界旅行』"Le Voyage dans la Lune / A Trip to the Moon/Viaje a la Luna"(1902)

 

多くの作品を提供したが、1910年代に入ると書割のファンタジーは時代遅れに。

1923年までに破産。

1928年に駅前の売店のあるじになっていたところを再発見。祝を受け引退。

 

〇シャルル・パテ

1863年生まれ。豚肉商の四男。

南米で諸種の仕事をしたあと帰国。

エディソンのフォノグラフ(蓄音機)を購入、パリ郊外の縁日興行で蓄財。

パテ・フレール(兄弟)社を創設。

1900年代に映画製作を企業化し、世界の覇者になった。

 

1901年「ある犯罪者の物語がヒット。

Primera elipsis narrativa

 

メリエスとは逆にリアリズム方向へ映画を向けた。

1902(1903?) 大作「キリスト受難劇」


The Passion Play: Life and Death of Christ (1903) - Ferdinand Zecca - La vie et la passion de Jesus

 

ニュース再現作品はパテの名物に。

パテの利益は1900年に34万フラン

1907年には2400万フラン

(いくらくらいなのか。。。)

 

「映画は明日の新聞であり、学校であり、劇場である。」

└ 示唆に富む。VRの方向はこれをなぞるのかどうか。

 

パテ社は快進撃。ロンドン、ニューヨークなどに支社を創設。

1908年のアメリカの売上は、アメリカの製作者の売上の倍。

ニッケル・オデオンの過半の作品を独占。

 

パテは、生フィルムと映写機製造、作品の配給と賃貸業、

原作の権利獲得、映画館の支配をめざした。

一種のコングロマリット(多国籍多業種統合企業)のあり方を先駆的にしめした。

 

■アメリカ

エドウィン・S・ポーター