手考足思 β

VRのメディアとしての特性と可能性を遠回りしながら探るブログ

レアンドロ展@森美術館

森美術館で見てくる。

金曜日の午後8時過ぎ。チケット売り場が混みあっていて驚いた。

みんなファイナルファンタジー展を見に来ているのだろうか。

列の3割~4割くらいは外国人という印象。中国系、韓国系、欧米系。

 

最初の展示は、池に浮かぶボートを模した彫刻(?)群。

広い部屋は暗くなっており、5隻くらいあるボートの周りだけがうっすらと明るい。

ボートは静かに揺れていて、水面にうつるボートがリアルに再現されているから、

部屋の暗さに目がなれるまでは、実際に水がはってあるのかどうかが分からない!

水がはっていないと分かったときはアハ体験というか、感心した。

 

他に印象的な作品は、廃校を模したインスタレーション

これは正直説明がすごく難しいが、とりあえず書いてみよう。

床から天井まである大きなガラスのあちら側には教室が模された空間が広がっている。

机といす。黒板、教卓。

ガラスのこちら側にも、いすや教卓を模したものが置いてある。

で、そこに座ると、ガラスに反射して自分があちら側の世界に入り込んだように見えるのだ!

イメージに自分が入り込んでしまう面白さ。不思議さ。

 

ものとイメージが重なる様子が好きなのかもしれない。

パリ・テキサス』でガラス越しに面会した恋人に反射した自分の顔が重なるシーンや、

最近では『ブレードランナー2049』のリアルの娼婦に恋人AIのホログラムがリアルタイムで同期したあとに行われるラブシーン。

ホロレンズも現実にイメージを重ねる技術だよね。

 

レアンドロの面白さは、

映像(鏡に反射する自分なども含む)と現実の境界が曖昧になるところ。

そして、それをデジタルを使わずにやるところ。

※もちろん、アパートの住人の生活模様を映像で見せる作品や、飛行機の窓から見える夜景や雲などを映像で見せる作品など、いやゆる映像を使った作品も多く、それはそれで面白い。 

 

映像と現実を仲介する素材として「鏡」をうまく利用した作品が多い。

廃校の作品と同じくらい好きなのが、

延々とつづく試着室の迷路。

鏡かと思うと通りぬけられたり、

鏡だと思っていたところに他人が出てきてときのぎょっとしたり。

 

床屋の作品を思いだしてるときに連想したけど、

鏡の国にアリスってどういう話だっけ?

あちらの世界とこちらの世界。

 

記憶とイメージ。記憶「と」というか、記憶「は」イメージなのかな。

それを操作される面白さと怖さ。

アパートの部屋の様子を映像で見せる作品は、

夜だと、明るい部屋の様子は丸見えという記憶を利用している。

建物の外観がプリントされた床にはいつくばると、

鏡越しに壁をよじのぼっているように見える作品は、

建物の壁は登れないという記憶が重要。

重力から解放されたイメージを実際に体験できる面白さ。

 

例えばすごくカラフルで巨大なボールプールってきっと面白いだろうけど、

それは見慣れていない光景の面白さだと思う。

そうじゃなくて、

実際の生活で見慣れているもの、イメージが頭のなかで出来てしまっているものを、

変質させるのがかっこいいアートなのかもしれない。

そうやって日常生活をハックできたら生活は豊かなのかもしれない。

 

・前もってイメージがある。

・イメージを変容させる作品がある。

・作品を体をとおして体験する

・イメージが更新される